最強柔道家・木村政彦は、日本プロレス選手権で力道山との一戦に敗れ、表舞台から姿を消した。彼はなぜ簡単に敗れたのか?
タイトル/
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上、下)
サブタイトル/
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原タイトル/
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著者/
●増田 俊也
1965年11月8日、愛知県生まれ。
北海道大学に入学し柔道部で高専柔道の流れを汲む寝技中心の七帝柔道を経験する。
高専柔道とは・・・
旧制高等学校・大学予科・旧制専門学校の柔道大会で行なわれた寝技中心の柔道。
4年生の最後の七帝戦が終わって柔道部を引退後に大学を中退する。
1989年、北海タイムスに入社して新聞記者になる。
1992年、中日新聞社へ転職し、中日新聞社中日スポーツ総局報道部記者になる。
2006年、『シャトゥーン ヒグマの森』で第5回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞、作家となる。
2012年、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で第43回大宅壮一ノンフィクション賞、第11回新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
2013年、『七帝柔道記』で第4回山田風太郎賞最終候補にノミネート。
2016年4月末日、25年間勤めた中日新聞社を早期退職し、本格的な作家生活に入った。
2017年、『北海タイムス物語』で第2回北海道ゆかりの本大賞を受賞。
訳者/
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シリーズ名/
新潮文庫
出版社/
新潮社
出版年/
2014年
ページ数/
上…563p、下…616p
価格/
上…869円、下…924円
内容紹介/
同郷熊本出身で「鬼の牛島」と呼ばれた牛島辰熊によって才能を見出された木村政彦は故郷熊本を離れ、東京の牛島塾で訓練を受け、全日本選手権を連覇、1940年の天覧試合を制する。
しかし、戦争で柔道から離れざるをえず、戦後もGHQによって軍国主義的との烙印を押された柔道は禁止され続け、不遇の時代を過ごす柔道家のために師匠牛島はプロ柔道を旗揚げし、木村政彦も参戦する。
しかし、興行の失敗で師弟は袂を分かち、木村は海外へ渡る。
ブラジルのマラカナンスタジアムでエリオ・グレイシーの挑戦を受け、これを退けた木村はアメリカ本土に渡りプロレスラーとなった。
やがて帰国した木村は、日本にプロレスブームを引き起こした元大相撲関脇の力道山とタッグを組むようになる。
しかし、プロレスに適応できず、負け役ばかりの現状に耐えかねた木村は、「真剣勝負で決着をつけよう」とマスコミを通じ力道山に宣戦布告する。
ここに「昭和の巌流島」と呼ばれる試合が行われることとなった。
ゴング──。
視聴率100%、全国民注視のなか、木村は一方的に潰され、血を流し、表舞台から姿を消す。
木村はなぜ負けたのか。
戦後スポーツ史最大の謎に迫る。
☆牛島辰熊とは・・・
木村が入った拓殖大学の師範、全日本を5回制覇。
☆エリオ・グレイシーとは・・・
グレイシー柔術創始者、400戦無敗の男ヒクソン・グレイシーの父。
感想/
★★★★☆
著者の他の著作/
木村政彦外伝
VTJ前夜の中井祐樹
映画化/
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その他/
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