ベトナムでは間口が狭い建物が多く見られる。
間口が狭い分を、高さや奥行きを持たせて補っている。
これは、植民地時代にあった間口税の名残りだそうである。
ベトナムは1800年代中頃から1945年までの約100年間、隣国のラオス、カンボジアとともにフランスに支配されていた。
土地はフランスのものとされ、ベトナムの人々には土地使用料が課された。
土地使用料は、通りからでも簡単に把握できるように間口の広狭によって決められたので、土地使用者は使用料を低くおさえようと間口を狭くしたのである。
第2次世界大戦後ベトナムは独立し間口税はなくなったのだが、社会主義体制を敷いているベトナムでは、土地の個人所有は認められておらず、人々は国に使用料を払って土地を使用している。
使用料は、現在では間口ではなく面積の広狭によって決められているが、ベトナムは、現在の姿・領域になった1800年代初頭の王朝・阮朝の頃から200年以上も個人の土地所有は認められていない。
長く個人が土地を所有せず使用のみをしてきたことが、狭い間口がいまだに残っている原因なのかもしれない。
なお、間口税は、16世紀のオランダや1600年代の江戸幕府三代将軍徳川家光の時代にもあって、当時からの間口の狭い建物がアムステルダムの運河沿いや京都の町家に見られる。
また、間口が狭く・高く・奥行きがある建物は、安定性に欠けるが、ベトナムは地震が少ないので倒壊の心配はないそうである。
(ベトナムは、4つのプレートの境界の上にある日本とは異なり、国全体がユーラシアプレートの上にあり近隣プレートとも距離が離れているため地震が少ないとされている。)